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日独伊三国同盟 |
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1940年(昭和15年)に日独伊三国同盟が締結されました。これは1936年から日本とドイツで締結された防共協定を強化するものとして交渉がすすめられたのが始まりでした。1939年に独ソ不可侵条約によって一度消えることとなりましたが、ドイツが西欧での勝利に伴い、対独提携・膨張論がふたたび台頭し、同年9月に第二次近衛内閣の成立によって同盟が調印されました。条約は、欧州とアジアにおける指導的立場の相互確認、第三国からの攻撃に対する相互援助などが主な内容となりました。 |
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南進路線 |
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この条約を背景にしながらも、さらに日本軍が中国だけでなく、ヨーロッパの植民地である仏印にまで南進しました。これによって英米との対立・衝突が避けられないものとなりました。その中で、1940年には大政翼賛会を発足させ、挙国一致の体制を強化し、1941年には日ソ中立条約の締結によって、ソ連を三国同盟側に組み入れて日独ソ4国ブロックを形成するに至りました。これを後ろ盾にして、日本はさらなる武力南進をすすめて英米を封じこめようとしました。 これらの動きが、太平洋戦争へと向かうことになってゆきます。
つづきは太平洋戦争「歴史的な背景」へ
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