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日本の南進と、アメリカの対応 |
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日中戦争の中での、日本の武力南進路線は、英米側の激しい反発を生みました。アメリカ政府は態度を硬化させて、日本に対するガソリンやくず鉄の輸出を制限する措置を講じました。これらは軍事行動と密接に関係するもので、そのアメリカの意図が読み取れます。
一方で、日本はアメリカとの交渉を試みた結果、アメリカがヨーロッパでの対独参戦を急ぐあまり「満州国」の承認をする結果となりました。
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ドイツとソ連の開戦 |
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ドイツは、制空権を確保できないことを理由に英本土への上陸を断念しました。そして矛先を変えて1941年にソ連への侵攻をはじめました。長期化するであろう戦争のために資源や食糧の獲得を目指して、短期的にソ連を打ちのめすことができると考えて、侵攻を開始したのです。この独ソ開戦が、太平洋戦争への大きな転機となったのです。
この独ソ開戦によって、イギリスはソ連を英米側に結束させることにしました。英の安全が確保されたことによって、英と同盟側であったアメリカは、日本への譲歩をやめ、強硬な姿勢で臨むようになりました。逆に日本も、強硬路線を継続し、日中戦争の継続、対英米戦争を覚悟した武力南進、さらには場合によってソ連との戦争も辞さない覚悟を決定することになり、ここでその対立構造が確固たるものとなりました。
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ABCD包囲網 |
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1941年(昭和16年)7月2日の御前会議決定にもとづき日本陸軍は、南部仏印(現在のベトナム南部とカンボジア)に進駐し、対ソ戦の準備のために満州・朝鮮に約80万人もの兵力をつぎ込みました。これに対してアメリカは、日本に対して石油輸出を禁止する措置をとり、中国からの日本軍撤退を要求しましたが、日本陸軍はそれに応じませんでした。
アメリカからの石油がとまったことにより、日本は長期的な戦争になれば不利になると考え、国内では早期開戦論が叫ばれるようになりました。ABCD包囲網(A=アメリカ、B=イギリス、C=中国、D=オランダ)が日本を圧迫し、これを除去するには戦争もやむをえない、と叫ばれました。
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日本、英米に対する戦争を決定 |
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この流れの中で、近衛内閣のとき一度は見合わせたものの、東条英機内閣のときに11月末までに日本側の対日経済封鎖の解除要求が実現できなければ、12月初旬に米英に対して戦争を開始することを決定しました。
アメリカの国務長官ハルは、アジアを満州事変以前に戻すことを日本に要求する提案(ハルノート)をしましたが、これを受け入れることのない日本は、同日にハワイを空襲するための空母を千島列島から手配しました。日本はこのハルノートをアメリカ側の最後通牒だと見なし、12月1日の御前会議で、英米蘭に対する戦争を最終決定しました。
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| ■ 太平洋戦争の勃発へ進む |
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