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抗戦するも後退 |
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マリアナ決戦に敗北した日本軍ですが、大本営は、次期の戦争に期待し、なおも戦争を継続する方針をとり、1944年には、逆転をかけてフィリピンのレイテ島での決戦を決行しました。海軍を、フィリピン海域にすべての水上艦艇を送り込み、残っている空母を用いて航空機による組織的な体当たり作戦(特攻作戦)まで行いました。しかし、膨大な被害だけを残して敗退することとなりました。特攻作戦は、戦死するベテランパイロットの増加から、通常の作戦が機能しないことから恒常的に行われるようになりました。終戦までに、およそ2500機が特攻作戦に投入されたとも言われています。また、そのほかにも人間魚雷などの特攻作戦がなされていました。しかし、それも功を奏することなくレイテ島での戦いに破れ、後退する日本軍は本土決戦の準備へととりかかることになりました。 |
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米軍、本土上陸 |
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1944年に米軍はマリアナ諸島の基地から爆撃機による日本本土空襲をはじめました。そして1945年2月には硫黄島、3月末には沖縄へと侵攻していきました。この頃になると、日本国内では、空襲警報におびえて防空壕に逃げ込む日々が続くようになりました。
米軍は、日本本土上陸のための準備基地を獲得するため3月26日に慶良間島に、4月1日には沖縄本島に上陸しました。これに対して、日本は海軍による大規模な航空特攻作戦を展開するとともに、戦艦大和などを突入させましたが、陸軍との連携を欠き、戦力として強いものとは言えませんでした。地上戦では反撃をおこないますが、大損害を被り、敗退しました。これによって司令部を沖縄本島南端に移動させて抗戦を続けますが、多数の住民が戦闘に巻き込まれ、犠牲者があとを絶ちませんでした。このときの犠牲者は15万人以上とも言われています。
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| ■ 本土への空襲へ進む |
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