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日本を中心とした戦争の歴史について紹介しているHPです。
太平洋戦争(第二次世界大戦)・第一次世界大戦・日露戦争・沖縄戦争などについて、初歩的な疑問を持つ方のために、戦争勃発の背景から戦時中、さらには終戦後までを時系列で解説した情報が当サイトの中心となっています。

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太平洋戦争(第二次世界大戦)とは
【無条件降伏と敗戦】


日本の敗戦

米軍の本土への空襲と、南方の離島への海上輸送の途絶は、日本の戦争遂行能力を根底から断つこととなりました。1945年7月26日には、ドイツのポツダムで、アメリカ・イギリス・ソ連の3国首脳が会談し、アメリカ・中国・イギリスの3国で日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が発表されました。この宣言で、日本の軍国主義の除去と基本的人権の確立、戦争犯罪人の処罰、日本が日清戦争移行に獲得した領土の返還、連合国による領土の占領などが示されました。アメリカは、戦後の政治の主導権をにぎるため、ソ連が参入する前の時期を選び、8月6日に広島に、8月9日には長崎に原子爆弾を投下しました。
これらの壊滅的な被害をうけ、内閣は、天皇の権威が維持されているうちに戦争を終結させることとし、昭和天皇の決断という形で、終戦を迎えることとなりました。1945年8月15日正午に、天皇による終戦の詔書の放送によって、戦争終結を国民に知らせました。その後、段階的に停戦が実現し、9月2日には正式に戦闘行為が終結し、日本の無条件降伏と敗戦をもって太平洋戦争は幕を閉じました。

調和・独立へ

1951年9月にサンフランシスコ講和条約が調印、翌年発効され、日本は占領状態から主権を回復し、同時に朝鮮独立を容認して日清戦争以来獲得した海外領土を放棄すること、千島列島の領有権を放棄すること、沖縄・小笠原諸島をアメリカ信託統治とすることなどが決められました。

戦後の賠償と処理問題

サンフランシスコ講和条約によって国際社会に復帰した日本ですが、明治以来の植民地支配と度重なる戦争が引き起こした諸問題が、すべて講和条約によって解決されたわけではありませんでした。それらは、民衆の損害を補償するものではなかったため、「強制連行」や「従軍慰安婦」、毒ガス兵器の遺棄など、賠償問題や戦争補償問題などはなお、未解決のままで残される結果となりました。


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